函館には以外に多くの土蔵作り建造物が残っている。
函館は1796年に高田屋嘉兵衛らが渡来し北海道の産物を本州に送る根拠地としたと同時に商港としてのインフラを整えた。高田屋はもちろん蔵を設え物資の保管にあたった。
函館は季節風や台風なども多く木造家屋が多かったため、大火が相次いでおこり、土蔵は必須の建造部物であった。
当時の水産物は生より乾物として出荷していたが、函館の現存する蔵は出荷する海産物よりも、内地から運んで北海道で売る織物、陶磁器、酒、美術品、日用品など比較的高価なものを保管するために建造されたものと思われる。
蔵は土蔵、石造、鉄筋コンクリート造などがある。規模、規模、構造も多様である。土蔵作りから紹介している。
喫茶店、レストラン、本来の蔵、ギャラリー、飲食店、店舗などに改造されて利用されているものも多いが、空き家になっていたり、老朽化してきているものも多い。
土蔵は外部の破損がなければ木造建築物より保温、保湿、防音などで利用度は高いのではないだろうか。外観が土蔵作りでも構造は石造のものも多い。函館の貴重な財産として活用を願いながらレポートしていく。
詳細は調査されていないが、現在残っているのは、明治、大正、昭和初期のものである。
全体外観ははこだて蔵クラVol.1.Vol2で紹介している。
 
函館市弥生町所在の蔵は、昭和20年の戦災で被災しながらも残ったが、老朽化が進み保存が心配されていたが、このほど市外の方が購入し保存されることがきまった 函館市大町の土蔵。外皮がはげているので、被覆層が見える、外壁は漆喰で砂等の5層が見える。  旧相馬邸の窓付近の内部構造
外側に覆いガラス戸があり、耐火観音開き扉、鉄格子、耐火引き違い戸、網戸の5重の防火、侵入よけの構造になっている。




 
上の窓の囲い窓の下に彫られた木彫。
土蔵の窓扉は堅固で開け閉てが
煩わしかったのか、多くの窓は
外側に木製の枠で囲い、その囲いにもがガラスの引き戸がはめられている。
その囲い枠下にも木彫の意匠をこらしているのは、めずらしい。
(vol2.谷地頭27)
上部の窓のひさしの上に施された波の模様。
漆喰と思われるこて絵のレリーフ。
波を越えて函館で財を作ったと言うメッセージをうかがわせる。
デザイン化された波の姿がすばらしい。
(Vol2.青柳町5)
 外観は土蔵作りだが、石作りで内部、外部にモルタルや漆喰を塗った”土蔵”も見られる。
BAR hanabi
函館市宝来町34-1
電話 0138-22-0087

 
鬼瓦の上のおおきなまつげのような鉄製の突き出し。なんというものなのか、なんのためのものなのか不明です。
避雷針でもなさそう、泥棒よけでもなさそう。火事、暴風よけのまじないか、ただの飾りか?
どなたか知っている方がいれば教えてください。 (若松町、石蔵)   
 

はこだて蔵クラvol.1

はこだて研究会

はこだて蔵クラvol.2